夏のはじめの、いちばん長い、夕方だった。
葵の部屋は、西向きで、夕方になると、リビングが、オレンジ色に、染まる。
カーテンを開けると、部屋ぜんたいが、たまご色の光に、満たされる。
窓を開けると、目黒川沿いを散歩する人の声が、遠く近く、聞こえてくる。
犬の鳴き声、ベビーカーの軋み、誰かの大きすぎる笑い声。
そういう、生活の音が、降ってくる夕方の部屋を、葵は、好きだ。
わたしはその日、葵の家に、お泊まりの予定だった。
ふたりで、近所のローソンで、ハーゲンダッツのストロベリーチーズケーキ味を、ふたつ買って、帰り道で、すでに半分とけ始めていたのを、急いで、冷凍庫に、戻した。
そして、20分待って、また出して、ふたりで、半解凍のいちばんおいしいタイミングで、食べていた。
こういう、ささやかな段取りを、ふたりで考えるのが、好きだ。
床に敷いたラグのうえで、半分寝そべるみたいに、座って、Netflixで、何かを流しっぱなしにしながら、しゃべっていた。
葵が、アイスをひとさじすくって、口に運んでから、こう、言った。
「美咲、わたし、好きな人がいる」
スプーンが、わたしのアイスのなかで、ぴたっと、止まった。
「えっ、誰誰?」
わたしは、前のめりに、なった。
葵が、誰かに恋してる話を、聞くの、ほぼ、初めてだった。
社会人になってから、彼女から「合コン」「マッチングアプリ」「告白された」というたぐいの話を、わたしは、聞いたことがなかった。
Tinder、Pairs、Bumble、Hinge。
わたしの友達のあいだで、誰かしら、必ず使っているマッチングアプリの、葵だけが、まったく、話に乗らなかった。
忙しいから、看護師は男ばっかの環境じゃないから、出会いがないから、というSNSで定型化された理由を、わたしは、勝手に、当てはめていた。
「同じ病棟の、看護師の人」
「先輩?」
「同期の女の子」
わたしは、一瞬、止まった。
そして、たぶん、わたしの表情の0.5秒くらいの止まりを、葵は、ちゃんと、見ていた。
「わたし、女の人を好きになるんだよね」と、葵は、ゆっくりと、言った。
声のトーンは、ふだんと、変わらなかった。
仕事の話をするときと、献立の話をするときと、同じ、声。
でも、彼女がいま、自分のなかのいちばん深いところを、わたしに開いてくれていることは、その淡々とした声からも、わかった。
「いつから、ってのもよくわからない」
「うん」
「たぶん、ずっと」
葵は、アイスのスプーンを、容器に立てて、そのままラグのうえに、置いた。
わたしは、いろんな言葉が、頭のなかで、ぐるぐる、回った。
「えっ、そうだったんだ」?
「全然、そんな風に見えなかった」?
「いつ気づいたの?」?
「家族には言ってる?」?
ぜんぶ、口に出す前に、止めた。
それぜんぶ、わたしが、聞きたいだけの質問だと、感覚的に、わかったから。
いまどき、誰かが、何かをカミングアウトしたとき、それをすぐに自分の好奇心で消費するのは、もう、ぜんぜん、現代的じゃない。
世間で、「LGBTQ+」のクラスメートに、「で、どうやって付き合うの?」と、興味本位で聞く人が、いまだに、いる。
わたしは、そういう人間で、いたくなかった。
代わりに、わたしは、こう、言った。
「葵」
「うん」
「わたしに話してくれて、ありがとう」
それだけは、ちゃんと、言えた。
葵は、ふっと、笑った。
オレンジ色の夕日が、彼女の頬に、横から、差していた。
「うん」
「うん」
ふたりで、しばらく、何も言わずに、Netflixの登場人物が動くのを、ぼんやり、見ていた。
ドラマのなかで、ヒーローとヒロインが、運命的にぶつかって、目を見開いて、抱きしめあっていた。
世間が、ふだん、わたしたちに、「これがふつうの恋愛ですよ」と、毎日、テンプレで提示してくる映像。
葵は、たぶん、これを、毎日、見ながら、自分は、ここに、入っていない、と、思ってきた。
わたしの胸が、すこし、痛くなった。
「いつから、誰かに話してたの?」
しばらくしてから、わたしは、慎重に、聞いた。
葵は、天井を見上げてから、答えた。
「最初に話したのは、看護学校の同期の、ひとりだけ。25歳のとき」
「うん」
「家族には、まだ話してない」
「うん」
「美咲は、3人目」
「3人目」
「うん」
葵は、すこし、笑った。
「美咲は、わたしが知ってる人の中で、いちばん『差別しない』タイプだとわかってたから、いつかは話そうと思ってた」
「わたしが、差別しないって、いつから感じた?」
「美咲が、新人歓迎会で、誰かが『あの先輩、実はゲイなんだぜ』って笑ったとき、『え、それ、笑うとこ?』って真顔で言ったとき」
わたしは、その瞬間のことを、ぼんやり思い出した。
入社1年目の春、地ビールがぬるくなっていく駅前の居酒屋。
そんなに深く考えて言った言葉でもなかったと思う。
でも、葵は、それを、ずっと、覚えていた。
「うん。あれから、わたし、美咲のこと、信頼するようになったの」
葵は、そう言って、ふたたび、アイスを、口に運んだ。
人の信頼って、こういう、自分でも忘れているような、何気ない一言から、ゆっくり、積もっていくんだ、と、わたしは、思った。
SNSの「いいね」の数で、人気を測る世界に、わたしたちは、生きている。
でも、いちばん大事な信頼は、たぶん、「いいね」がつかないところで、ひとが、ひそかに、覚えている。
「葵」
「うん?」
「わたしね、いま、ちょっと、複雑な気持ち」
「うん?」
「葵が、わたしを信頼してくれてたって、嬉しい」
「でもね、同時に、葵がそれだけのあいだ、ひとりで抱えてたって思うと、わたし、なんか、悔しくて」
葵は、ちょっと、目を細めた。
「美咲、それ、どっちも、本物の感情だね」
「そう、悔しい」
わたしは、続けた。
「葵が、24時間勤務の看護師として頑張りながら、職場で、好きな人と、毎日、笑顔で話して、でも、家に帰ったら、ひとりで、その気持ちを、誰にも言えずに過ごしてたって、思うと」
「わたし、同じ部屋に何回も泊まってきたのに、葵のその孤独に、まったく、気づいてあげられなかった」
「それが、悔しい」
葵の目に、ふっと、水が浮かんだ。
「美咲」
「うん」
「それを言ってくれること自体が、すごく大事なことなんだよ」
「LGBTの友達がいたとき、ふつうに「ふつうのこと」として受け取る人は、けっこういる」
「でも、「あなたが孤独だったことに気づけなくて悔しい」って、自分の側の感情を、ちゃんと受け取って、外に出してくれる人は、少ない」
「美咲は、わたしの孤独を、自分の中に、取り込んでくれた」
「それが、いまのわたしには、すごく、ありがたい」
わたしは、葵の手を、両手で、握った。
葵の手は、ちょっと、ひんやりしていた。
看護師の指は、いつも、すこし、冷たい。
患者さんを触る前に、何度も洗ってきた指。
そういう指のうしろにある、葵の、3年分の沈黙を、わたしは、いま、握っている。
「葵」
「うん」
「ごめん、長い間、気づかなくて」
「ううん、こちらこそ、長い間、ひとりで持ってて」
ふたりで、ちょっと、笑って、ちょっと、泣いた。
「いつから好きなの、その同期の子?」
しばらくして、わたしは、聞いた。
「3年くらい前から」
「3年も?」
「告白してない。彼女、たぶん、ストレートだから」
葵は、淡々と、言った。
「わたし、自分のことを話したら、たぶん、関係が変わる。それが怖くて、3年、ただの同期で居続けてる」
「うん」
「でもね、3年経ってもまだ好きだから、これは、本当の好きだ、って思った」
わたしは、しばらく、黙った。
なんと言っていいのか、わからなかった。
わたしは、ストレートで、シスジェンダーで、健太と結婚しようと思ったら、できる立場で、葵が抱えている苦しみの輪郭を、知識としてしか、知らなかった。
そして、その「結婚しようと思ったらできる」と言うことの、ほんとうの重さを、わたしは、その夜、はじめて、ちゃんと、考えた。
「結婚しようと思ったらできる」って、特権だ。
わたしは、その特権を、ずっと、当たり前のように、持ってきた。
だけど、葵には、それがない。
そう気づいたとき、わたしのなかで、なぜか、健太の顔が、ふっと、浮かんだ。
健太と、いつか、結婚するかもしれない、ということを、わたしは、いままで、ふつうの未来として、ふつうに、想像してきた。
でも、葵には、その「ふつうの想像」が、できない。
わたしの「ふつう」は、葵から見たら、「権利」だった。
その事実が、わたしの胸の真ん中に、ずしっ、と、来た。
世間で、「結婚」をめぐる議論は、いまだに、「結婚するか、しないか」が、自由の問題として語られる。
でも、葵にとって、そもそも、「結婚するか、しないか」を選ぶ自由が、ない。
わたしの「結婚しない自由」と、葵の「結婚できない不自由」は、まったく違う、別の重さだった。
それを、いま、わたしは、はじめて、ちゃんと、考えた。
その夜、わたしは、葵の家のソファで、シーツに、くるまって、寝た。
葵は、寝室で、ドアを少し開けたまま、寝ていた。
葵は、いつも、ドアを少し開けて、寝る。
「もしも、わたしが、夜中に体調を崩したら、葵が気づけるように」って、何度泊まりに来ても、絶対に、そうしてくれる。
葵の、こういう、看護師ふだんの優しさを、わたしは、いま、はじめて、別の角度から、感じていた。
ベッドの上で、わたしはスマホで「LGBTQ+ 基礎知識」と検索した。
夜中の3時くらいまで、いろんな記事を、読んだ。
性の4つの構成要素
| 要素 | 意味 |
|---|---|
| 生物学的性(Sex) | 出生時の身体的特徴 |
| 性自認(Gender Identity) | 自分の性別をどう認識するか |
| 性的指向(Sexual Orientation) | 恋愛・性的関心がどの性に向くか |
| 性表現(Gender Expression) | 服装・しぐさ・言葉での自己表現 |
LGBTQ+とは
| 略称 | 意味 |
|---|---|
| Lesbian | 女性同性愛者 |
| Gay | 男性同性愛者 |
| Bisexual | 両性愛者 |
| Transgender | 出生時の性と性自認が異なる人 |
| Queer/Questioning | 既存カテゴリに当てはまらない/模索中 |
| + | アセクシュアル、パンセクシュアル、ノンバイナリーなど |
葵は、レズビアン。
性的指向が、女性に向かう人。
性自認は、女性。
そう書いて、読み上げてみると、ああ、そうか、と思った。
「葵」は、何も変わってない。
変わったのは、わたしが知ったかどうかだけ。
数日後、わたしは、美里に、葵の話を、ぜんぶ、した。
(葵には、事前に「美里に話していい? 彼女もきっと、わかってくれる人だから」と、確認した。葵は、「美里になら、いいよ」と、頷いた。)
新宿三丁目の、いつものカフェ。
美里は、しばらく、頷きながら、聞いていた。
そして、紅茶のカップを置いて、こう、言った。
「美咲ちゃん、葵が話してくれてよかったね」
「うん」
「わたしの業界、SOGIに関しては、たぶん、ふつうの会社より、ずっと、多様」
「わたしのお店にも、何人か、レズビアンの女の子もいるし、トランスジェンダーの女性もいる」
「お店全体で、ぜんぜん、ふつうのこととして、扱われてる」
「一方で、お客さんのなかには、ゲイだけど、家庭があるから、夜だけは自分らしく過ごしたい、って人もいる」
「バイの男性も、多い」
「夜の街は、世間の「ふつう」が通用しないぶん、性の多様性が、自然に、混在してる」
美里は、すこし、声のトーンを、下げた。
「わたしのお店の同期で、トランスジェンダーの女性がいるの」
「麻里香さん、35歳。お店では「マリカ」って呼ばれてる」
「彼女は、戸籍上は、まだ男性のまま」
「性別変更には、生殖不能要件とか、いろんな厳しい要件があって、彼女には、まだ、それを乗り越えるお金も、心の準備も、足りない」
「でも、彼女は、毎日、女性として、お店に立ってる」
「お客さんは、ぜんぜん、気にしない」
「「マリカちゃん、面白い」って、ふつうに、人気がある」
「でもね」
美里は、すこし、ため息を、ついた。
「マリカが、銀行に行くたびに、書類上の名前と、見た目で、混乱が起きる」
「病院にかかるとき、保険証の名前で、受付で、大きな声で呼ばれて、隣の人にじろじろ見られる」
「マンションを借りるとき、性別欄で、ぜんぶ、断られた経験がある」
「マリカは、ふつうに生きるためのことすべてに、ストレスを、抱えてる」
「マリカが「お店にいるあいだだけは、わたしは、わたしでいられる」って、笑いながら言うときに、わたしは、毎回、世界の方が、間違ってる、って思う」
わたしは、頷いた。
マリカさんの「お店にいるあいだだけは、わたしは、わたしでいられる」って、ものすごく、悲しい喜びだった。
夜のお店という、世間が「特殊」と扱う場所が、マリカさんにとって、いちばん、安全な場所。
それは、世間の側が、安全な場所を、用意できていない、という、世間への、痛烈な、証拠だった。
「美咲ちゃん」と、美里は、続けた。
「うん」
「葵も、マリカも、わたしのお店の同僚たちも、みんな、ふつうに、社会のなかで、生きてる」
「でも、世間の制度が、その人たちを、ふつうに生きられないようにしてる」
「だから、わたし、いつか、世間の制度のほうが、変わるって、信じたい」
「そして、その変化は、わたしたち一人ひとりが、ちゃんと話して、知って、考えて、ようやく、できるんだと思う」
美里の言葉は、わたしの胸の真ん中に、深く、入ってきた。
葵が抱えてきた孤独と、マリカさんが毎日抱えている社会の不便と、美里が見守る、夜の街の小さな多様性は、ぜんぶ、繋がっていた。
「日本の同性婚って、いま、どうなってるの?」と、わたしは、その後、葵に、聞いた。
葵は、ちょっと、笑った。「美咲、ちゃんと興味持ってる。嬉しい」
「2024年から2025年にかけて、全国の5つの高裁すべてが『同性婚を認めない現行法は違憲』って判断した」
「全部?」
「全部。札幌、東京、福岡、名古屋、大阪。ぜんぶ違憲」
「唯一、2025年11月の東京高裁の2件目だけが合憲って判断したけど、5対1」
「最高裁の判断を、いま、待ってる状態」
「すごい流れ、来てる」
「来てる。でも、最高裁が違憲って判断しても、法律改正は国会だから、まだ時間はかかる」
葵は、そこで、ちょっと、声のトーンを、下げた。
「1990年代に、同性愛を理由に勤務先を解雇されて、最高裁まで闘った人がいる」
「うん」
「2000年代に、レズビアンであることを家族にカミングアウトしたら、家を追い出された人もいた」
「うん」
「2010年代に、ゲイであることを大学院の同期に勝手に暴露されて、自ら命を絶った人もいる。一橋大学アウティング事件って、知ってる?」
「ニュースでなんとなく」
「2015年。あの事件以来、多くの大学・自治体・企業でアウティング禁止規定ができた」
葵は、ふぅ、と息を、吐いた。
「わたしたちは、その人たちの背中の上に、いま、立ってる」
「うん」
「だから、いま、簡単に告白できる空気を作りたい、わけじゃないんだよ」
「誰もが、自分で、自分のタイミングで、自分の言葉で話せる権利を、ちゃんと守れる社会にしたい」
「葵、ありがとう。教えてくれて」
「ううん。美咲が、ちゃんと聞いてくれるからだよ」
「パートナーシップ制度は?」と、わたしは、聞いた。
「全国の自治体の人口カバー率は90%超になった。すごい伸び」
「うん」
「でも、法的効力は限定的」
「相続、税控除、国民健康保険の被扶養者、こういうものが、及ばない」
「家族として死ぬ間際の面会すら拒否されることが、ある」
葵は、お茶を飲んで、続けた。
「わたしが、もしいまの好きな人と結ばれることになっても、結婚はできないんだよ」
「うん」
「同棲はできるけど、家族にはなれない」
「……」
「もし、彼女が、事故にあって意識不明になったら、わたしは病院で『家族じゃない』って面会を拒否されるかもしれない」
「遺体の引き取りも、できないかもしれない」
「長年一緒に住んだ家から、彼女の家族が来て、わたしを追い出すかもしれない」
「葵」
わたしは、声が、出なかった。
何を言っても、薄っぺらい気がした。
そして、怒りが、こみ上げてきた。
葵が、こんなに優しくて、優秀で、誰かを大切にできる人なのに、
ただ、好きになる人の性別が、世間の想定と違うというだけで、
こんな根本的な権利から、排除されている。
それは、葵のせいじゃない。
社会の側が、追いついてないんだ。
「葵」と、わたしは、言った。
「うん」
「わたし、葵が、結婚できないって、わたしの問題でもあるって、思った」
「うん?」
「わたしが、結婚しようと思ったらできるってのは、わたしが特別偉いからじゃなくて、たまたま、社会がわたしを「想定内」に置いてくれてるってだけ」
「葵が、それから、外されてる」
「それは、わたしも、社会の側にいる人として、許せない」
葵は、ふっと、笑った。
「美咲、ありがとう」
「でもね、美咲」
「うん?」
「わたしの代わりに、怒ってくれるのも、嬉しい」
「でも、わたし、自分の人生を、「制度の被害者」だけにしたくない」
「わたし、いま、ちゃんと、自分の人生を、ちゃんと生きてる」
「好きな人がいて、仕事があって、美咲みたいな友達がいて、毎日、忙しくて、うれしい」
「わたしの人生は、欠けてない」
「ただ、社会の制度のほうが、わたしを、まだ受け入れてないだけ」
「だから、わたしを、欠けたものとして、見ないで」
わたしは、ぽろっと、涙が、落ちた。
葵は、強かった。
葵は、自分の幸せを、自分の手で、ちゃんと、作っていた。
「マイノリティ=かわいそう」という世間の物語に、わたしも、無意識に、染められていた。
葵は、それを、すこし、揺すぶってくれた。
葵は、自分の人生を、ちゃんと、自分の物語として、生きていた。
葵は、わたしに、「アライ(Ally)」のことを、教えてくれた。
アライ(Ally)とは
当事者ではないが、LGBTQ+の権利を支持し、共に行動する人。
誰でもなれる。
アライにできること
- 正しい知識を学ぶ
- 差別的な発言を、しない・止める
- 「彼氏/彼女いるの?」と決めつけない
- カミングアウトを強要しない
- アウティングしない(本人の同意なく性的指向・性自認を第三者に話さない)
- 多目的トイレ・ジェンダー中立な選択肢を支持
- 同性パートナーの福利厚生を企業に求める
- 当事者を「異質」「特別」扱いしない
「葵、わたしは絶対、誰にも言わないよ」
「うん。信じてる」
「でも、わたしの周りで、誰かが軽く『ホモネタ』とかで笑ってるとき、ちゃんと、一言、言える人になりたい」
「それで、十分すぎるくらい、ありがたい」
会社で、ふと、気づくことが、増えた。
部長が、若手の男性社員に「まだ彼女いないの?」と聞いていた。
別の上司が「男ならこのくらいの量、飲めなきゃ」と言っていた。
コピー機の横で、女性社員同士が「やっぱ女子会は楽でいいよね、男のいない場所って」と笑っていた。
ぜんぶ、男女が好きになる前提、男性的・女性的な振る舞い前提の言葉。
そこに葵がいたら、居場所がないかもしれない、と、思った。
わたしは、できる範囲で、ちょっとずつ、会話の前提を変える努力を、始めた。
「彼女いないの?」じゃなくて「好きな人いないの?」。
「男なら/女なら」じゃなくて「人による」。
「子どもの予定は?」じゃなくて「子どもの予定があれば応援する」。
ちょっとした言い換えだけど、そこに「いる」のに『いない』ことにされてきた人にとって、世界はちょっと変わる気がした。
ある日、ランチで、後輩の女の子が、誰かのうわさ話で「あの子、ちょっとオネエっぽいよね」と笑ったとき、わたしは、初めて、ちゃんと、口に出した。
「それ、笑うとこじゃないよ」
後輩は、ちょっと、驚いた顔を、した。
「えっ、ふつうに、特徴を言っただけです」
「特徴を言うのと、それを笑うのは、違う」
「もしその場に、その特徴を持つ人がいたら、笑われたくないと思う」
後輩は、しばらく、考えてから、頷いた。
「ごめんなさい、わかりました」
その瞬間、わたしのなかで、葵に「3人目」って言ってもらった責任を、すこし、果たせた気がした。
世間で、「ポリコレうるさい」って言われがちな指摘を、わたしは、いま、ちゃんと、目の前のひとりに、向けて、口にした。
炎上のなかでスローガンを叫ぶより、ランチの席で、ひとりに、ちゃんと、伝えること。
それが、たぶん、わたしのできる、いちばん、地味で、いちばん、大事なことだと、思った。
ある日、わたしは、美里と、葵と、3人で、夕飯を食べに、行った。
渋谷の、無国籍料理の小さなお店。
美里と葵は、初対面じゃないけど、3人で会うのは、初めてだった。
「葵、ひさしぶり」と、美里は、笑った。
「美里、最近、お店、忙しい?」
「うん、けっこう。年末商戦で」
ふたりは、ふつうに、近況を、話した。
そのあと、美里が、わたしに、こう、言った。
「美咲ちゃん、葵に、ちゃんと、聞いてもらえる相手がいて、よかった」
葵は、すこし、照れたように、笑った。
「わたしも、こうやって、ふつうに3人でご飯食べられるって、嬉しい」
「わたしの周りで、わたしと、わたしの親友と、夜の店で働く女性が、ふつうに、3人で食事できる、って状況、世間ではまだ、あまり、想像されてないと思う」
「でも、わたしは、これが、わたしの「ふつう」」
「美咲、わたしのふつうに、入ってきてくれて、ありがとう」
わたしは、グラスをあげて、ふたりに、乾杯した。
「わたしのほうこそ、ありがとう」
それから半年後の、雪が降りはじめた、12月のある夜。
葵から、長いLINEが、来た。
葵:「今日、彼女に告白した」
葵:「返事は、ごめんなさい、わたしはストレートだから、だった」
葵:「でも、友達でいてくれてありがとう、って、ちゃんと言ってくれた」
葵:「美咲、いま、空いてる?」
わたしは、家に来てもらって、葵と、いっしょに、飲んだ。
そして、美里にも、すぐ、LINEを、送った。
美咲:「葵が告白して、振られた」
美咲:「いま、わたしの家」
美里:「わたしも行く」
1時間後、美里が、わたしの家に、来た。
お酒と、おつまみと、3人分のあったかいセーターを、持って。
葵は、ふつうに、ふつうに、めちゃくちゃ落ち込んでた。
3年間ずっと好きだった人に、告白して、振られたんだから、当たり前だ。
でも、彼女は、こうも、言った。
「美咲、美里」
「うん?」
「ふつうに失恋できるって、けっこう、悪くない」
「うん?」
「今日のわたしは、誰かを好きになって、告白して、振られた、っていう、ふつうの失恋をしてる人間なんだよ」
「うん」
「それが、けっこう、悪くない」
美里が、ふっと、笑った。
「葵、それね、めっちゃ大事」
「夜の店で働いてるわたしと、看護師の葵と、広告代理店の美咲ちゃん」
「3人とも、それぞれ、ふつうの恋愛をして、ふつうに失恋して、ふつうに泣ける」
「それを、ふつうのこととして、3人で乾杯できる、っていうのが、わたしたちの「ふつう」だ」
わたしは、グラスをぶつけて、3人で、乾杯した。
「ふつうの失恋に、乾杯」
「うん。ふつうに、悲しい」
葵は、声を出して、笑った。
それから、声を出して、泣いた。
わたしと美里は、彼女の左右に、それぞれの肩を、当てた。
そのとき、わたしは、「ふつう」って言葉の重さを、はじめて、ちゃんと、わかった。
葵にとって、「ふつうに失恋できる」夜は、たぶん、これまでで一番、自由な夜だった。
そして、その夜が、ふつうのことになる社会を、わたしたちは、これから、ゆっくり、作っていく。
世間で「ふつう」というその一語が、誰かを、ぜんぶの権利から、排除してきた。
でも、その同じ「ふつう」を、葵は、いま、ぐるりと、別のかたちで、自分のものに、した。
「ふつうに失恋できる」っていう、葵の、強い、言葉。
わたしは、それを、しばらく、忘れない。
まとめメモ:性の多様性
性の4要素は独立
- 生物学的性/性自認/性的指向/性表現は、それぞれ別の要素
- どの組み合わせもありえて、すべて自然
LGBTQ+とSOGI
- LGBTQ+は「特定の人々」のカテゴリ
- SOGI(ソジ)は「すべての人」が持つ属性
- 全員が当事者の一人
日本の同性婚(2024-2026)
- 5つの高裁すべてが違憲(または違憲状態)と判断
- 札幌・東京(1次)・福岡・名古屋・大阪
- 東京(2次)のみ合憲
- 最高裁判断待ち
パートナーシップ制度
- 自治体の人口カバー率90%超
- でも法的効力は限定的:相続・税・医療同意などに及ばない
大切な3つのこと
- カミングアウトを強要しない
- アウティング絶対NG(重大な人権侵害)
- アライは誰でもなれる:知って・止めて・寄り添う
心に留めたいこと
- 「ふつう」と思っている自分の特権を、ちゃんと振り返る
- 当事者の「孤独」を、自分の問題として受け取る
- でも、当事者は「欠けたもの」ではなく、ちゃんと、自分の人生を生きている
相談窓口・情報源
- よりそいホットライン:0120-279-338(ガイダンス4番でセクシュアリティ専門)
- プライドハウス東京 レガシー:常設のLGBTQ+センター
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