第9話|マッチングアプリの、優しい彼



12月、年末の慌ただしい時期だった。

仕事の納会、忘年会、年賀状、来年度の予算書、健太のクリスマスのプレゼントを何にするか、あと、年賀状って、もう書く意味あるのか。

頭のなかが、いろんなToDoで、ぱんぱんに、膨れ上がっていた、そんな金曜の夜。

いまどき、20代後半の女性は、年末を、3つか4つの「やらなきゃ」で、頭を埋めて、生きている

Notionの「Personal」ページに、じわじわ、未消化のチェックボックスが、増えていく時期

ファミレスのソファ席で、ひとり、遅い夕飯を食べていたら、ゆいから、いつもより長いLINEが、来た。

ゆい:「美咲、ちょっと相談乗ってほしい」

メッセージは、まずそれだけ。

わたしは、フォークを、置いた。

ゆい:「マッチングアプリで知り合った人に、写真送ったほうがいいか迷ってる

わたしは、フォークを、もう一度、置いた。

すぐに、通話アイコンを、押した。

「ゆい、いま、大丈夫?」

電話の向こうで、ゆいが、ちょっとだけ、息を整える音が、した。

「うん、いま、家。お風呂上がり」

「ゆい、写真ってどんな?」

ふつうの写真は、送ってる。けど、彼が、もうちょっと、その、肌が見えてるやつ、見たいって言ってきて

わたしは、ファミレスの席で、声を抑えながら、言った。

断ろう

「うーん、でも、ほんとにいい人で」

ゆいの声には、迷いと、弁護のようなものが、すこし、混じっていた。

「弁護のような声色」って、聞いたら、ぜったい、その瞬間、相手は、グルーミングされている

それが、いまの時代の、わたしたちが学ばなきゃいけない、いちばん最初の「察し」

3か月くらいやり取りしてて、まだ会ってないけど、すごい話が合うの

会ってないのに3か月やり取り、っていうのも、ちょっと気になる」と、わたしは、言った。

電話の向こうで、ゆいは、しばらく、黙った。

「……うん」

こんど、葵も、美里も呼んで、4人で会わない?」と、わたしは、提案した。

「美里さん?」

葵の友達。今度の話、たぶん、彼女が、いちばん詳しい人

わかった、わたしも、会いたい



その週末、4人で、ゆいの部屋に、集合した。

冬の夕方、ゆいの目黒の1Kは、いつものように、北欧風のグレーと白とくすんだブルーで、整然と、整えられていた。

ゆいは、コンビニで買ってきたお菓子と、紅茶を、丁寧に小さなトレーに、並べた。

「相談する」って気持ちで、彼女が、来客を迎える準備をしてくれたのが、わかった。

ふつう、20代後半の女の子の家って、大事なお客さんが来るときに、急いで部屋を片付ける

でも、ゆいは、いつもの、自分のままの部屋で、わたしたちを、迎えてくれた

ゆいの部屋は、ゆい自身が、ピル治療で、自分のからだを取り戻してきた、4年ぶんの努力の、あらわれだった

美里は、ふっと、室内を、見回して、「ゆいちゃんの部屋、すごい趣味よくていいね」と、ふつうに、笑った。

ゆいも、「ありがとうございます、美里さん」と、ふつうに、笑った。

最初の3分で、ゆいと美里は、もう、ふつうの友達みたいに、話していた。

「夜のお店の人」と「フリーランスのデザイナー」は、ふつうに話せば、ふつうに、合う。

わたしは、その光景を見ながら、ちいさく、嬉しかった。

世間が、「夜のお店の人」と「ふつうの女の子」のあいだに、勝手に、川を引いている

でも、いま、ゆいの部屋では、その川が、ぜんぜん、ない

それは、世間が、ようやく、こうあってほしい、と、思いはじめている、ひとつの絵だった。

ローテーブルを、囲んで、座った。

「ゆい」と、葵は、まず、聞いた。「最初から、ぜんぶ、聞かせて

ゆいは、スマホを開いて、彼とのやり取りを、ちょっとずつ、見せながら、話してくれた。

  • マッチングアプリで知り合った
  • 相手は34歳、外資系コンサル、独身、と自称
  • 3か月、毎日、長時間のやり取り
  • まだ一度も会っていない(「忙しくて」と本人が言う)
  • ビデオ通話も「音声は出してくれるけどカメラはオフ
  • 特別な関係」を強調する
  • 最近、「もっと君のことを知りたい」「特別だから、見せてほしい」と性的な画像を要求

葵は、ふぅーっと、長く、息を、吐いた。

そして、美里は、画面を見ながら、すぐに、ぴしゃりと、言った。

これ、わたし、知ってる手口

ゆいの肩が、ふっと、すこし、強ばった。

「うん?」

わたしのお店の女の子で、こういうDMで、写真送って、流出した子、過去にいる

本物のロマンス詐欺かもしれないし、画像目当てのグルーマーかもしれない

結論からいうと、ぜったい、写真は、送らないで



葵が、わたしたちに、まとめて、教えてくれた。

マッチングアプリでの危険サイン

  • 会わずに長期間メッセージだけが続く(顔出しビデオ通話を避ける)
  • 「特別」「運命」を異常に強調する
  • 個人情報をしつこく聞く(学校・職場・本名・住所・SNSアカウント)
  • 性的な画像を要求
  • 「証拠として送って」「一緒に楽しもう」と理屈をつける
  • ハイスペックすぎる経歴(医師・パイロット・起業家・海外駐在)
  • 送金を頼む/投資話を持ちかける
  • 顔写真がモデル級にきれい

「ゆい、これ、チェックリストの何個、当てはまる?」と、葵が、聞いた。

ゆいは、画面を見ながら、ひとつずつ、確認していった。

「会わずに3か月」特別を強調」「個人情報をしつこく」「性的な画像を要求」「ハイスペックすぎる経歴」「カメラオフ」──。

「……6個」

ゆいは、ぽつりと、言った。

6個って」と、葵は、低い声で、言った。「かなりピンクから、もう、レッドフラッグ



葵は、続けて、性的画像の法的リスクを、メモ帳に書きながら、教えてくれた。

性的画像の法的リスク

  • 撮影された/送った画像は、コントロール不能になる
  • 流出・拡散・販売の可能性
  • AIによる合成(ディープフェイク)で別の画像と組み合わされることも
  • 私事性的画像被害防止法:同意なき公表は3年以下の拘禁刑
  • 性的姿態撮影等処罰法(2023年7月施行):撮影3年以下、提供5年以下の拘禁刑
  • 18歳未満の自画撮りは児童ポルノ:送信者・受信者・所持者すべて処罰

そして、美里が、続けた。

ゆいちゃん

「うん?」

わたし、お店の後輩の子で、彼氏に頼まれて性的な画像を送って、別れた後、その画像が、ネット上に出回った子、知ってる

それを取り戻すのに、彼女、3年かかった

そして、それでも、まだ、ぜんぶは、消えてない

画像が出てくる検索結果を、毎月チェックしながら、削除請求を出し続けてる

それは、本当に、辛い作業

ゆいの顔色が、青く、なった。

でね」と、美里は、声のトーンを、すこし、和らげた。

ゆいちゃん、責めるつもりじゃないんだけど

ゆいちゃんは、いま、なんで、3か月の関係を、そこまで、続けたかった?

ゆいは、しばらく、黙った。

そして、ぽつりと、言った。

……寂しかった、と思う

「うん」

ピル飲み始めて、生理痛が良くなって、半年前から、わたし、ようやく、自分の人生を、ちゃんと生きはじめた感じがあって

そうしたら、誰かと、ちゃんと、繋がりたくなったの

でも、それを、現実の周りの人と、すぐにやるのは、難しくて

マッチングアプリで、たまたま、会話が合う人がいて

3か月、その人と話してるあいだ、わたし、自分が、すごく、いい人間に思えた

ぜんぶ、嘘だったかもしれないのに

ゆいの目に、ふっと、水が、浮かんだ。

わたしは、その「自分が、すごく、いい人間に思えた」っていうゆいの言葉を、心臓のあたりで、強く、受け止めた

わたしたち世代、20代後半の女性は、SNSで、ぜんぶの自分のかけらを、毎日、外に向かって、提出している

「いいね」がつかないと、自分が、ちょっと、欠けて見える

そのなかで、3か月、毎日、ちゃんと、話を聞いてくれる人が、ひとりだけ、現れる

その人と話しているあいだ、自分の輪郭が、はっきりしていく

それは、ものすごく、麻薬みたいに、効く

そして、その「効き方」を、悪用する人が、確実に、存在している



美里は、ゆいの隣に座って、ゆいの肩に、自分の手を、置いた。

ゆいちゃん

「うん」

寂しい気持ちが、悪いんじゃないよ

人と繋がりたい気持ちは、人として、ふつうの気持ち

それを、悪用する人がいるのが、悪いの

ゆいちゃん、何も悪くない

ゆいは、ぽろぽろ、泣いた。

美里は、続けた。

わたしね、お店で、お客さんと毎日話して、お客さんから「大切」って言われ続けて、なんか、自分が「愛されてる」って錯覚することが、ある

でも、それは、お店の中の関係であって、わたしの、ふつうの人間としての繋がりじゃない

だから、わたしも、お店の外で、ふつうに、誰かと繋がりたくなる

ゆいちゃんと、おなじ

寂しさは、職業も、年齢も、関係なく、誰にでもある

そして、寂しさを、悪用する人は、それを、ちゃんと、見抜いてくる

だから、寂しいときは、ひとりで判断しちゃ、だめ

わたしたちみたいな仲間に、相談していい

ゆいは、頷いて、それから、美里をぎゅっと、抱きしめた。

美里さん、ありがとう

美里でいいよ。今日から、わたしたち、もう、友達

その瞬間、わたしは、自分のなかで、何かが、ぽっ、と、灯る感覚が、あった。

夜のお店で働く美里と、フリーランスのデザイナーのゆいが、寂しさという、同じ感情を、共有した

それは、職業や立場の違いを、軽々と、超えていた

性は、結局、すべての人間が抱える、寂しさや、繋がりへの希求と、繋がっている



その夜、ゆいは、彼との連絡を、ブロックした。

ブロックボタンを押す前、彼女は、しばらく、画面を、見ていた。

好きだった気持ちは、本物だったんだよね」

ゆいは、ぽつりと、言った。

騙されてただけかもしれないのに、そう思える自分が、まだ恥ずかしい

「ううん」と葵は、首を、振った。

好きになる気持ち自体は、何も悪くない

それを利用する側が悪い

恥ずかしいのは、騙される側じゃなくて、騙す側

ゆいは、頷いた。

そして、ブロックボタンを、押した。

通知が、画面のうえで、すうっと、消えた。

たった3秒で消える通知のなかに、3か月分の、ゆいの夜が、ぜんぶ、入っていた。

ブロックっていう機能は、いまどき、わたしたちが、自分のからだを守るために持っている、唯一の、強い、ボタン

「あと、警察に相談するって選択肢もある」と、葵は、続けた。

まだ被害は出てないけど、ロマンス詐欺の動きとして、サイバー犯罪相談窓口に通報できるよ」

他にも被害者がいるかもしれないから」

ゆいは、その夜のうちに、警察庁のサイバー犯罪相談窓口に、メールで、情報を、提供した。

彼との3か月分のスクリーンショットを、ぜんぶ、添付した。

そのあいだ、わたしと美里と葵は、ゆいのキッチンで、お茶を淹れて、待っていた

4人で、夜中の2時まで、ぐだぐだ、話した

男の話、仕事の話、家族の話、夢の話

普段、ぜんぜん違う場所にいる4人が、ゆいの小さな部屋で、寄り集まって、ぐだぐだ、していた

帰り際、美里は、ゆいに、こう、言った。

ゆいちゃん、今度、お店、見にきてもいい? うちの店、女の子の見学、ふつうに歓迎してるよ

えっ、いいんですか?

ぜんぜん。むしろ、夜の現場って、ふつうの女の子の方が、見てびっくりすることいっぱい。来て、見て、ふつうに、知ってほしい

ゆいは、頷いた。

わたし、いつか、行きたい



別の機会に、葵が「もっと知っておくべきこと」として、教えてくれたのが、ディープフェイクポルノの問題だった。

中目黒のカフェ。

冬の窓際の、日差しの暖かい席。

AI技術で、本人の顔と他人の身体を組み合わせた性的画像が作られる問題」

「えっ、それ、芸能人だけじゃなくて?」

一般人もターゲットになるSNSの普通の写真から作られる

「……」

海外の調査では、ディープフェイク動画の9割以上が女性のポルノって統計もある」

怖すぎる

自衛策

  • SNSの公開設定を強化する
  • 顔写真の過剰な公開を控える
  • 被害にあったら、警察・専門NPOへ即相談

葵は、メモ帳を、取り出して、相談先を、書いてくれた。

性的画像被害の相談先

  • ぱっぷす(NPO):050-3177-5432
  • セーフライン:違法・有害情報通報
  • 警察サイバー犯罪相談窓口:各都道府県警
  • 削除請求:弁護士または専門NPO経由で
  • 裁判所への仮処分申立ても可能

「あと、AV出演被害防止・救済法っていうのが、2022年にできた」と、葵は、続けた。

契約の説明義務、撮影前の1か月猶予期間、契約から1年(経過措置で2年)の取消権とか。騙されてAV出演しちゃっても、取り消せる

「えっ、そんな法律あるんだ」

「ある」と、葵は、言った。

そして、葵は、一拍、置いて、続けた。

でね、これ、美里にも、ちゃんと聞いてほしいって言われた話があるの」

「うん」

美里、自分のお店の業界のことに、すごく、詳しいでしょう。で、彼女、こういうこと言ってた

「『世間は、夜のお店の女性、性風俗の女性を、「弱い被害者」か、「自業自得」か、二つに分けて見てくる』」

「『でも、実際は、ほとんどの女性が、ちゃんと、自分の意思で、自分の生活のために、自分のからだの管理をして、ちゃんと働いている』」

「『騙されたり、強要されたりしてる人もいるけど、それは「業界」の問題じゃなくて、その個別の犯罪の問題』」

「『業界全体を「悪」って決めつけて根絶しようって動きは、わたしたちの自己決定権を、踏みにじる』」

「『むしろ、業界のなかで働く女性を「ふつうの労働者」として、ちゃんと、社会に組み込むことが、結果的に、犯罪を減らす』」

「『だから、社会の目線が、変わらないと、わたしたちも、ちゃんと、安全に、働けない』」

葵は、それを、ぜんぶ、わたしに伝えてから、こう、続けた。

美里は、AV出演被害防止・救済法には、すごく賛成してる

でも、彼女が言ってたのは、「法律で守られる前に、世間の目線が、変わってほしい」って

「わたしたちを、目を背ける対象にしないで、ふつうに、対話してほしい」って

わたしは、頷いた。

美里の言葉が、わたしのなかに、すこしずつ、しみ込んでいく

わたしも、これまで、無意識に、夜のお店の女性を、「弱い被害者」として見てしまっていた瞬間が、あった

でも、美里と話して、それが、ぜんぜん、違っていた、ことを、知った

社会が変わるためには、まず、わたしの目線が、変わらなきゃいけない



それから2週間後、ゆいは、わたしたちにLINEで、報告した。

ゆい:「警察から連絡があった」

ゆい:「同じ手口で、複数人の女性が被害に遭ってたらしい」

ゆい:「まだ捕まってないけど、捜査対象になった

ゆい:「写真を送ってしまった被害者もいたって」

ゆい:「送らなくて、本当によかった

美咲:「ゆい、ありがとう。情報提供してくれて」

美咲:「ゆいが行動したから、これから被害に遭う人が、減る

ゆい:「ううん、でも、送ってしまった被害者のこと、考えると、つらいね」

ゆい:「わたしが、もしも、あの夜、ひとりで判断してたら、わたしも、その被害者になってたかもしれない

美咲:「でも、ゆいは、わたしたちに連絡してくれた

美咲:「それが、ゆいが、自分を、ちゃんと信じた、ってこと

そのあと、ゆいは、もう一通、メッセージを、くれた。

ゆい:「美咲、美里に、ありがとうって伝えて

ゆい:「あの日、美里さんが「寂しさは、悪くないよ」って言ってくれたから、わたし、自分のことを責めずに済んだ

わたしは、そのメッセージを、そのまま、美里に、転送した。

美里からの返信は、短かった。

美里:「わたしも、ゆいちゃんを抱きしめながら、自分を抱きしめてた

美里:「ありがとうって、こちらこそ



その夜、わたしは、ふと、自分のSNSの設定を、見直した。

鍵アカじゃ、なかった

誕生日、出身地、勤務先、ぜんぶ、けっこう推測できる情報を、載せていた

過去の投稿を遡ると、いつ・どこの店で・誰と食事したかまで、丁寧に、タグ付けしていた。

わたしは、その夜のうちに、

  • アカウントを鍵に変更
  • 過去の投稿のうち、勤務先や住所が特定できそうなものを削除
  • プロフィールから生年月日を削除
  • 写真のExif情報(位置情報)を確認

これらを、ひとつずつ、やった。

「優しさ」と「危険」は、ネット越しだと、見分けがつきにくい

「特別」と「狙われている」も、同じ言葉に聞こえることがある

それでも、ぜんぶのDMを警戒したくはない

だから、最低限、自分を守る方法を、ちゃんと、知っておくしかない。



帰り道、わたしは、健太と、電話した。

マッチングアプリ、運命に出会えたかもしれない人って気持ちで使うと、本当に騙されやすいんだなって、思った」と、わたしは、言った。

「うん」

会わずに3か月、わたしも、たぶん『もったいない』って、思っちゃう」

「人間、誰だって、そう」

ネットで知り合った人と、リアルで会うまでにすべき5つのこと、調べた」

マッチングアプリの安全な使い方

1. 公的な年齢確認があるアプリを選ぶ(インターネット異性紹介事業届出済み)

2. 顔出しビデオ通話を、会う前にする

3. 初回は昼間の公共の場で会う

4. 友人に行き先・時間を共有

5. 個人情報(住所・職場)は早期に教えない

自分を守るって、相手を疑うことじゃない」と、わたしは、言った。

自分を大切にすることだよね」

「うん」と、健太は、答えた。「信頼は、時間と行動で、積み上げるもの

ゆい、勇気あるよね」と、わたしは、続けた。

「うん。あと、ゆいに、ちゃんとそれを言ってくれる友達がいるのが、すごい」

「……ありがとう」

「美咲」

「うん?」

美咲のいまの友達ネットワーク、けっこう、すごいんだな

「うん?」

葵がいて、リサがいて、ゆいがいて、美里さんがいて

なんか、ぜんぶ、別の文脈の女性たちが、美咲を中心に、ふつうに、繋がってる

わたしは、ちょっと、笑った。

「中心」って言われると照れる

ううん、美咲のすごいところは、その人たちを「ふつうに友達」って言えること

「特別な人」じゃなくて、「ふつうに、隣にいる人」って思えるところ

それは、たぶん、美咲の、いちばんの強み

電話を切って、わたしは、夜の空を、見上げた。

自分を、自分で守るって、ひとりでやらなくて、いい

自分を信じてくれる人と、一緒に、自分を守ればいい

そして、わたしを取り囲む人たちは、ぜんぶ、それぞれの場所で、自分のからだと心と仕事を、ちゃんと、ぶれずに生きている人たちだ。

わたしは、彼女たちと出会えて、ほんとうに、よかった



3月、ゆいは、新しい彼氏ができたと、報告してくれた。

今度の人、めっちゃ普通の人」と、ゆいは、笑った。

「会社で知り合って、ふつうにご飯誘われて、ふつうに会って、ふつうに付き合うことになった」

「ふつうって、いいよね」

ふつうに大事な人を、ふつうに大事にできるって、わたしは、けっこう、いま、幸せ

ゆいの笑顔は、3か月のマッチングアプリの彼を切ったときには、想像できなかったほど、自然だった。

騙されかけた経験は、トラウマじゃなくて、彼女の判断力に、なった

それが、いちばんの、救いだった

そして、ゆいから、もうひとつ、嬉しい報告が、あった。

ゆい:「先週、美里に連れられて、彼女のお店、見学に行ってきた

ゆい:「お店の女の子たち、めっちゃ素敵だった

ゆい:「マリカさんっていう、トランスジェンダーの女性とも、お話しできた

ゆい:「わたし、知らない世界、いっぱいあるんだなって、思った

ゆい:「美里と、これからも、ちょこちょこ会う約束した

わたしは、その文章を読んで、嬉しくて、ちょっと、泣いた。

夜のお店と、フリーランスのデザイナーが、ふつうに、お互いの世界を行き来する

それは、わたしたちの、すこし新しい、社会のかたちだった


目次

美咲のひとり言

ゆいの3か月のDM、その向こう側にいた、わたしたちの知らない誰か。

それは、人を騙して、画像を集めて、誰かのからだを、商品にしようとしてた人。

でも、その「誰か」と、美里みたいに、ちゃんと自分の労働を選んで生きている人を、世間は、ぜんぶ、同じ「夜の世界」って、ひとくくりにしてる

それは、おかしい

美里は、自分の身体を、自分の意思で、商品にしている。

彼女は、それで生計を立てて、家賃を払って、母を看ている。

犯罪をしているわけじゃない

プロフェッショナルとして、自分の労働を、毎日、ちゃんと、提供している

そして、その彼女の手元には、性教育の知識と、安全管理のノウハウと、コンセントの実践と、危険な相手を見抜く目が、ぜんぶ、ある。

ゆいを救ったのは、美里のその知識と経験だった。

だから、わたしは、美里みたいな人たちが、ちゃんと、社会のなかで、ふつうに対話できる場所が、もっと、必要だと思う

それが、性の知識を、もっと、ちゃんと、社会に行き渡らせる、ひとつの道だと、信じている。

そして、もうひとつ、わたしのなかに残った、ささやかな確信。

寂しさは、悪くない

寂しさを、ちゃんと、ことばにする勇気が、わたしを、わたしじゃないものに、騙されないようにしてくれる

だから、わたしは、これからも、寂しいときは、ちゃんと、寂しい、と、誰かに、言える人で、いたい


まとめメモ:デジタル時代の性

性的画像のリスク

  • 一度送った画像はコントロール不能
  • スクショ・転送・流出・AI合成の可能性
  • 削除しても、他の端末・サーバーに残る

関連する法律(2023年以降)

  • 性的姿態撮影等処罰法(撮影罪):2023年7月施行
  • 撮影3年以下、提供5年以下の拘禁刑
  • 私事性的画像被害防止法(リベンジポルノ法)
  • 児童ポルノ禁止法:18歳未満の性的画像、自画撮り含む
  • AV出演被害防止・救済法:2022年6月施行
  • 16歳未満の者に対する面会要求等罪:グルーミング処罰

マッチングアプリの危険サイン

  • 会わずに長期間メッセージだけ続く
  • 「特別」「運命」を異常に強調
  • 個人情報をしつこく聞く
  • ハイスペックすぎる経歴
  • 性的画像を要求/送金を求める

ディープフェイクポルノ

  • AI合成の性的画像被害は急増中
  • 海外の調査ではディープフェイク動画の9割以上が女性のポルノ
  • 自衛:SNS設定の見直し、顔写真の過剰公開を控える

心に留めたいこと

  • 寂しさは、悪くないそれを悪用する人が、悪い
  • 夜の業界の女性たちは、被害者でも、犯罪者でもない、ふつうの労働者
  • 業界を「根絶」じゃなく、「対話」によって、安全な社会へ

相談窓口

  • ぱっぷす:050-3177-5432(性的画像被害/JKビジネス)
  • セーフライン:違法・有害情報通報
  • 警察サイバー犯罪相談窓口:各都道府県警
  • チャイルドライン:0120-99-7777(18歳まで)
  • 法務省人権相談:0570-003-110(みんなの人権110番)
  • 違法・有害情報相談センター

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第9話|マッチングアプリの、優しい彼



12月、年末の慌ただしい時期だった。

仕事の納会、忘年会、年賀状、来年度の予算書、翔のクリスマスのプレゼントを何にするか、あと年賀状ってもう書く意味あるのか。頭のなかがいろんなToDoでぱんぱんに膨れ上がっていた金曜の夜。

Notionの「Personal」ページにじわじわ未消化のチェックボックスが増えていく時期。

ファミレスのソファ席でひとり遅い夕飯を食べていたら、ゆいからいつもより長いLINEが来た。

ゆい:「萌、ちょっと相談乗ってほしい」

メッセージはまずそれだけ。わたしはフォークを置いた。

ゆい:「マッチングアプリで知り合った人に、写真送ったほうがいいか迷ってる

わたしはフォークをもう一度置いた。すぐに通話アイコンを押した。

「ゆい、いま大丈夫?」

電話の向こうでゆいがちょっとだけ息を整える音がした。

「うん、いま家。お風呂上がり」

「ゆい、写真ってどんな?」

「ふつうの写真は送ってる。けど彼がもうちょっとその、肌が見えてるやつ見たいって言ってきて

わたしはファミレスの席で声を抑えながら言った。

断ろう

「うーん、でもほんとにいい人で」

ゆいの声には迷いと弁護のようなものがすこし混じっていた。相手を「いい人」と庇う声色が出たら、それはグルーミングのサインかもしれない。いまの時代、わたしたちが学ばなきゃいけないいちばん最初の「察し」だと思う。

「3か月くらいやり取りしてて、まだ会ってないけどすごい話が合うの」

「会ってないのに3か月やり取りっていうのもちょっと気になる」

電話の向こうでゆいはしばらく黙った。

「……うん」

「こんど杏も美里も呼んで4人で会わない?」

「美里さん?」

「杏の友達。今度の話、たぶん彼女がいちばん詳しい人」

「わかった、わたしも会いたい」



その週末、4人でゆいの部屋に集合した。

冬の夕方、ゆいの目黒の1Kはいつものように北欧風のグレーと白とくすんだブルーで整然と整えられていた。ゆいはコンビニで買ってきたお菓子と紅茶を丁寧にトレーに並べた。

美里はふっと室内を見回して「ゆいちゃんの部屋、すごい趣味よくていいね」とふつうに笑った。ゆいも「ありがとうございます、美里さん」とふつうに笑った。最初の3分でゆいと美里はもうふつうの友達みたいに話していた。

わたしはその光景を見ながらちいさく嬉しかった。

ローテーブルを囲んで座った。

「ゆい」と杏はまず聞いた。「最初からぜんぶ聞かせて」

ゆいはスマホを開いて彼とのやり取りをちょっとずつ見せながら話してくれた。

  • マッチングアプリで知り合った
  • 相手は34歳、外資系コンサル、独身と自称
  • 3か月毎日長時間のやり取り
  • まだ一度も会っていない(「忙しくて」と本人が言う)
  • ビデオ通話も音声は出してくれるけどカメラはオフ
  • 「特別な関係」を強調する
  • 最近「もっと君のことを知りたい」「特別だから見せてほしい」と性的な画像を要求

杏はふぅーっと長く息を吐いた。

美里は画面を見ながらすぐにぴしゃりと言った。

これ、わたし知ってる手口

ゆいの肩がふっとすこし強ばった。

「うん?」

「わたしのお店の女の子でこういうDMで写真送って流出した子、過去にいる。本物のロマンス詐欺かもしれないし画像目当てのグルーマーかもしれない」

「結論からいうと、ぜったい写真は送らないで



杏がわたしたちにまとめて教えてくれた。

マッチングアプリでの危険サイン

  • 会わずに長期間メッセージだけが続く(顔出しビデオ通話を避ける)
  • 「特別」「運命」を異常に強調する
  • 個人情報をしつこく聞く(学校・職場・本名・住所・SNSアカウント)
  • 性的な画像を要求
  • 「証拠として送って」「一緒に楽しもう」と理屈をつける
  • ハイスペックすぎる経歴(医師・パイロット・起業家・海外駐在)
  • 送金を頼む/投資話を持ちかける
  • 顔写真がモデル級にきれい

「ゆい、これチェックリストの何個当てはまる?」と杏が聞いた。

ゆいは画面を見ながらひとつずつ確認していった。

「会わずに3か月」「特別を強調」「個人情報をしつこく」「性的な画像を要求」「ハイスペックすぎる経歴」「カメラオフ」──。

「……6個」

6個って」と杏は低い声で言った。「かなりピンクからもうレッドフラッグ



杏は続けて性的画像の法的リスクをメモ帳に書きながら教えてくれた。

性的画像の法的リスク

  • 撮影された/送った画像はコントロール不能になる
  • 流出・拡散・販売の可能性
  • AIによる合成(ディープフェイク)で別の画像と組み合わされることも
  • 私事性的画像被害防止法:同意なき公表は3年以下の拘禁刑
  • 性的姿態撮影等処罰法(2023年7月施行):撮影3年以下、提供5年以下の拘禁刑
  • 18歳未満の自画撮りは児童ポルノ:送信者・受信者・所持者すべて処罰

そして美里が続けた。

「ゆいちゃん」

「うん?」

「わたしお店の後輩の子で、彼氏に頼まれて性的な画像を送って、別れた後その画像がネット上に出回った子知ってる」

「それを取り戻すのに彼女3年かかった。そしてそれでもまだぜんぶは消えてない。画像が出てくる検索結果を毎月チェックしながら削除請求を出し続けてる。それは本当に辛い作業」

ゆいの顔色が青くなった。

「でね」と美里は声のトーンをすこし和らげた。

「ゆいちゃん、責めるつもりじゃないんだけど、ゆいちゃんはいまなんで3か月の関係をそこまで続けたかった?」

ゆいはしばらく黙った。そしてぽつりと言った。

「……寂しかった、と思う」

「うん」

「ピル飲み始めて生理痛が良くなって、半年前からわたしようやく自分の人生をちゃんと生きはじめた感じがあって。そうしたら誰かとちゃんと繋がりたくなったの。でもそれを現実の周りの人とすぐにやるのは難しくて」

「マッチングアプリでたまたま会話が合う人がいて。3か月その人と話してるあいだわたし自分がすごくいい人間に思えた。ぜんぶ嘘だったかもしれないのに」

ゆいの目にふっと水が浮かんだ。

わたしはその「自分がすごくいい人間に思えた」っていうゆいの言葉を胸の奥で強く受け止めた。

3か月毎日ちゃんと話を聞いてくれる人がひとりだけ現れる。その人と話しているあいだ自分の輪郭がはっきりしていく。それはものすごく効く。そしてその「効き方」を悪用する人が確実に存在している。



美里はゆいの隣に座ってゆいの肩に自分の手を置いた。

「ゆいちゃん、寂しい気持ちが悪いんじゃないよ。人と繋がりたい気持ちは人としてふつうの気持ち。それを悪用する人がいるのが悪いの

「ゆいちゃん何も悪くない」

ゆいはぽろぽろ泣いた。

美里は続けた。

「わたしねお店でお客さんと毎日話してお客さんから『大切』って言われ続けてなんか自分が『愛されてる』って錯覚することがある。でもそれはお店の中の関係であってわたしのふつうの人間としての繋がりじゃない。だからわたしもお店の外でふつうに誰かと繋がりたくなる。ゆいちゃんとおなじ」

「寂しさは職業も年齢も関係なく誰にでもある。そして寂しさを悪用する人はそれをちゃんと見抜いてくる。だから寂しいときはひとりで判断しちゃだめ。わたしたちみたいな仲間に相談していい」

ゆいは頷いてそれから美里をぎゅっと抱きしめた。

「美里さん、ありがとう」

「美里でいいよ。今日からわたしたちもう友達」



その夜、ゆいは彼との連絡をブロックした。

ブロックボタンを押す前、彼女はしばらく画面を見ていた。

「好きだった気持ちは本物だったんだよね。騙されてただけかもしれないのに、そう思える自分がまだ恥ずかしい」

「ううん」と杏は首を振った。「好きになる気持ち自体は何も悪くない。それを利用する側が悪い。恥ずかしいのは騙される側じゃなくて騙す側」

ゆいは頷いた。そしてブロックボタンを押した。通知が画面のうえですうっと消えた。たった3秒で消える通知のなかに3か月分のゆいの夜がぜんぶ入っていた。

「あと警察に相談するって選択肢もある」と杏は続けた。「まだ被害は出てないけど、ロマンス詐欺の動きとしてサイバー犯罪相談窓口に通報できるよ。他にも被害者がいるかもしれないから」

ゆいはその夜のうちに警察庁のサイバー犯罪相談窓口にメールで情報を提供した。彼との3か月分のスクリーンショットをぜんぶ添付した。

そのあいだわたしと美里と杏はゆいのキッチンでお茶を淹れて待っていた。4人で夜中の2時までぐだぐだ話した。男の話、仕事の話、家族の話、夢の話。

帰り際、美里はゆいにこう言った。

「ゆいちゃん、今度お店見にきてもいい? うちの店、女の子の見学ふつうに歓迎してるよ」

「えっ、いいんですか?」

「ぜんぜん。むしろ夜の現場ってふつうの女の子の方が見てびっくりすることいっぱい。来て見てふつうに知ってほしい」

ゆいは頷いた。「わたしいつか行きたい」



別の機会に杏が「もっと知っておくべきこと」として教えてくれたのがディープフェイクポルノの問題だった。

中目黒のカフェ、冬の窓際の日差しの暖かい席。

AI技術で本人の顔と他人の身体を組み合わせた性的画像が作られる問題」

「えっ、それ芸能人だけじゃなくて?」

一般人もターゲットになる。SNSの普通の写真から作られる

「……」

「海外の調査ではディープフェイク動画の9割以上が女性のポルノって統計もある」

「怖すぎる」

自衛策

  • SNSの公開設定を強化する
  • 顔写真の過剰な公開を控える
  • 被害にあったら警察・専門NPOへ即相談

杏はメモ帳を取り出して相談先を書いてくれた。

性的画像被害の相談先

  • ぱっぷす(NPO):050-3177-5432
  • セーフライン:違法・有害情報通報
  • 警察サイバー犯罪相談窓口:各都道府県警
  • 削除請求:弁護士または専門NPO経由で
  • 裁判所への仮処分申立ても可能

「あとAV出演被害防止・救済法っていうのが2022年にできた」と杏は続けた。

「契約の説明義務、撮影前の1か月猶予期間、契約から1年(経過措置で2年)の取消権とか。騙されてAV出演しちゃっても取り消せる」

「えっ、そんな法律あるんだ」

「ある」と杏は言った。

そして一拍置いて続けた。

「でね、これ美里にもちゃんと聞いてほしいって言われた話があるの」

「うん」

「美里、自分のお店の業界のことにすごく詳しいでしょう。で彼女こういうこと言ってた」

「『世間は夜のお店の女性、性風俗の女性を「弱い被害者」か「自業自得」か二つに分けて見てくる。でも実際はほとんどの女性がちゃんと自分の意思で自分の生活のために自分のからだの管理をしてちゃんと働いている』」

「『騙されたり強要されたりしてる人もいるけどそれは「業界」の問題じゃなくてその個別の犯罪の問題。業界全体を「悪」って決めつけて根絶しようって動きはわたしたちの自己決定権を踏みにじる』」

「『むしろ業界のなかで働く女性を「ふつうの労働者」としてちゃんと社会に組み込むことが結果的に犯罪を減らす。だから社会の目線が変わらないとわたしたちもちゃんと安全に働けない』」

杏はそれをぜんぶ伝えてからこう続けた。

「美里はAV出演被害防止・救済法にはすごく賛成してる。でも彼女が言ってたのは『法律で守られる前に世間の目線が変わってほしい』って。『わたしたちを目を背ける対象にしないでふつうに対話してほしい』って」

わたしは頷いた。美里の言葉がすこしずつしみ込んでいく。わたしもこれまで無意識に夜のお店の女性を「弱い被害者」として見てしまっていた瞬間があった。でも美里と話してそれがぜんぜん違っていたことを知った。



それから2週間後、ゆいはわたしたちにLINEで報告した。

ゆい:「警察から連絡があった」

ゆい:「同じ手口で複数人の女性が被害に遭ってたらしい」

ゆい:「まだ捕まってないけど捜査対象になった

ゆい:「写真を送ってしまった被害者もいたって」

ゆい:「送らなくて本当によかった

:「ゆいありがとう。情報提供してくれて」

:「ゆいが行動したからこれから被害に遭う人が減る

ゆい:「ううん、でも送ってしまった被害者のこと考えるとつらいね」

ゆい:「わたしがもしもあの夜ひとりで判断してたらわたしもその被害者になってたかもしれない

:「でもゆいはわたしたちに連絡してくれた。それがゆいが自分をちゃんと信じたってこと

そのあとゆいはもう一通メッセージをくれた。

ゆい:「萌、美里にありがとうって伝えて。あの日美里さんが『寂しさは悪くないよ』って言ってくれたからわたし自分のことを責めずに済んだ

わたしはそのメッセージをそのまま美里に転送した。

美里からの返信は短かった。

美里:「わたしもゆいちゃんを抱きしめながら自分を抱きしめてた。ありがとうってこちらこそ



その夜、わたしはふと自分のSNSの設定を見直した。

鍵アカじゃなかった。誕生日、出身地、勤務先、ぜんぶけっこう推測できる情報を載せていた。過去の投稿を遡るといつどこの店で誰と食事したかまで丁寧にタグ付けしていた。

わたしはその夜のうちに、アカウントを鍵に変更、過去の投稿のうち勤務先や住所が特定できそうなものを削除、プロフィールから生年月日を削除、写真のExif情報(位置情報)を確認。これらをひとつずつやった。

「優しさ」と「危険」はネット越しだと見分けがつきにくい。「特別」と「狙われている」も同じ言葉に聞こえることがある。それでもぜんぶのDMを警戒したくはない。だから最低限自分を守る方法をちゃんと知っておくしかない。



帰り道、翔と電話した。

「マッチングアプリ、運命に出会えたかもしれないって気持ちで使うと本当に騙されやすいんだなって思った」

「うん」

「会わずに3か月、わたしもたぶん『もったいない』って思っちゃう」

「人間、誰だってそう」

「ネットで知り合った人とリアルで会うまでにすべきこと調べた」

マッチングアプリの安全な使い方

1. 公的な年齢確認があるアプリを選ぶ(インターネット異性紹介事業届出済み)

2. 顔出しビデオ通話を会う前にする

3. 初回は昼間の公共の場で会う

4. 友人に行き先・時間を共有

5. 個人情報(住所・職場)は早期に教えない

「自分を守るって相手を疑うことじゃない。自分を大切にすることだよね」

「うん」と翔は答えた。「信頼は時間と行動で積み上げるもの」

「ゆい勇気あるよね」

「うん。あとゆいにちゃんとそれを言ってくれる友達がいるのがすごい」

「……ありがとう」

「萌」

「うん?」

「萌のいまの友達ネットワークけっこうすごいんだな。杏がいてリサがいてゆいがいて美里さんがいて。なんかぜんぶ別の文脈の女性たちが萌を中心にふつうに繋がってる」

わたしはちょっと笑った。

「『中心』って言われると照れる」

「ううん、萌のすごいところはその人たちを『ふつうに友達』って言えること。『特別な人』じゃなくて『ふつうに隣にいる人』って思えるところ。それはたぶん萌のいちばんの強み」

電話を切ってわたしは夜の空を見上げた。

自分を自分で守るってひとりでやらなくていい。自分を信じてくれる人と一緒に自分を守ればいい。



3月、ゆいは新しい彼氏ができたと報告してくれた。

「今度の人、めっちゃ普通の人」とゆいは笑った。

「会社で知り合ってふつうにご飯誘われてふつうに会ってふつうに付き合うことになった」

「ふつうっていいよね」

「ふつうに大事な人をふつうに大事にできるってわたしはけっこういま幸せ」

ゆいの笑顔は3か月のマッチングアプリの彼を切ったときには想像できなかったほど自然だった。騙されかけた経験はトラウマじゃなくて彼女の判断力になった。それがいちばんの救いだった。

そしてゆいからもうひとつ嬉しい報告があった。

ゆい:「先週美里に連れられて彼女のお店見学に行ってきた

ゆい:「お店の女の子たちめっちゃ素敵だった

ゆい:「マリカさんっていうトランスジェンダーの女性ともお話しできた

ゆい:「わたし知らない世界いっぱいあるんだなって思った

ゆい:「美里とこれからもちょこちょこ会う約束した

わたしはその文章を読んで嬉しくてちょっと泣いた。

夜のお店とフリーランスのデザイナーがふつうにお互いの世界を行き来する。それはわたしたちのすこし新しい社会のかたちだった。


萌のひとり言

ゆいの3か月のDM、その向こう側にいたわたしたちの知らない誰か。

それは人を騙して画像を集めて誰かのからだを商品にしようとしてた人。

でもその「誰か」と、美里みたいにちゃんと自分の労働を選んで生きている人を、世間はぜんぶ同じ「夜の世界」ってひとくくりにしてる。それはおかしい。

美里は自分の身体を自分の意思で商品にしている。彼女はそれで生計を立てて家賃を払って母を看ている。犯罪をしているわけじゃない。プロフェッショナルとして自分の労働を毎日ちゃんと提供している。

そしてその彼女の手元には性教育の知識と安全管理のノウハウとコンセントの実践と危険な相手を見抜く目がぜんぶある。ゆいを救ったのは美里のその知識と経験だった。

だからわたしは美里みたいな人たちがちゃんと社会のなかでふつうに対話できる場所がもっと必要だと思う。それが性の知識をもっとちゃんと社会に行き渡らせるひとつの道だと信じている。

そしてもうひとつ、わたしのなかに残ったささやかな確信。

寂しさは悪くない。寂しさをちゃんとことばにする勇気が、わたしをわたしじゃないものに騙されないようにしてくれる。だからわたしはこれからも寂しいときはちゃんと寂しいと誰かに言える人でいたい。


まとめメモ:デジタル時代の性

性的画像のリスク

  • 一度送った画像はコントロール不能
  • スクショ・転送・流出・AI合成の可能性
  • 削除しても、他の端末・サーバーに残る

関連する法律(2023年以降)

  • 性的姿態撮影等処罰法(撮影罪):2023年7月施行
  • 撮影3年以下、提供5年以下の拘禁刑
  • 私事性的画像被害防止法(リベンジポルノ法)
  • 児童ポルノ禁止法:18歳未満の性的画像、自画撮り含む
  • AV出演被害防止・救済法:2022年6月施行
  • 16歳未満の者に対する面会要求等罪:グルーミング処罰

マッチングアプリの危険サイン

  • 会わずに長期間メッセージだけ続く
  • 「特別」「運命」を異常に強調
  • 個人情報をしつこく聞く
  • ハイスペックすぎる経歴
  • 性的画像を要求/送金を求める

ディープフェイクポルノ

  • AI合成の性的画像被害は急増中
  • 海外の調査ではディープフェイク動画の9割以上が女性のポルノ
  • 自衛:SNS設定の見直し、顔写真の過剰公開を控える

心に留めたいこと

  • 寂しさは悪くない。それを悪用する人が悪い
  • 夜の業界の女性たちは、被害者でも犯罪者でもない、ふつうの労働者
  • 業界を「根絶」じゃなく「対話」によって安全な社会へ

相談窓口

  • ぱっぷす:050-3177-5432(性的画像被害/JKビジネス)
  • セーフライン:違法・有害情報通報
  • 警察サイバー犯罪相談窓口:各都道府県警
  • チャイルドライン:0120-99-7777(18歳まで)
  • 法務省人権相談:0570-003-110(みんなの人権110番)
  • 違法・有害情報相談センター

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